正直なタイプのように見える人に限って、けっこう嘘つきであるようだ。今日もまけまけの午前のプログラムが終わり休憩がてら雑談をしていると、物静かな女性であるAさんが少し口角を上げて「私こう見えて嘘つきなんです」と告白するではないか。「えー、それって意外ですよね。今までどんな嘘ついてきたんですか?」と皆の視線がAさんに向けられた。つい好奇心が先走って聞いてしまったのだ。「それがあまりに嘘をつきすぎて、一つも思い出せないほどなんです」とうまく逃げられてしまった。嘘みたいな本当の話があるが、Aさんの話を聞けば聞くほどこの人は嘘つきなのだろうかと疑問を抱いてしまう。嘘つきにも程度があるし、可愛い嘘をつく女性はチャーミングな側面があることも確かだ。「嘘も方便」という言葉もあるわけだから、誰だって大なり小なり嘘をついて生活しているだろう。嘘をとがめられるのは法律を破る場合に限られている。悪い嘘と良い嘘。誰も損をしない嘘がつけるようになれば大人の仲間入りということになる。自分も随分嘘をついて生きながらえてきたが、自分に嘘をつくのが一番良くない。親に嘘をついて小遣いをせしめるより悪い。自分で自分を追い込むとろくなことにならない。果たしてまけまけに通う自分は本心からまけまけライフに満足をしているのだろうかと考えてしまう。朝起きると最悪で、まけまけさえなければ午前中はずっと布団の中にいられるという邪念に取り付かれる。この誘惑は悪魔的でこれを振り払うのに自分を鼓舞するのであるが、かなり嘘っぽさがぬぐえない。まけまけ到着後は晴れやかな顔をしているが、嘘をついて自分を誤魔化していることさえ忘れている。つまり忘れやすい嘘は大いに利用したほうが生きやすいということになるのではないだろうか。どうりでAさんが嘘つきに見えないのも、忘れやすい嘘をたくみについているからなのだろう。自分が馬鹿な振りをすることが嘘の第一歩である。馬鹿になろう。嘘もついていけばいつかは事実に化けるから。
イガチョフ