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イガチョフ

硬い日本語

本を読むのは好きなほうで、移動の時も必ず一冊鞄に忍ばせておく。まけまけの図書室も少ないが蔵書があって、たまに貸してもらっている。作業療法士やPSWの専門書は歯が立たないが、一般向けに書かれた本は目を通した。途中で投げ出すのは嫌な性質なので読了するまでわけがわからなくてもページをめくる。これはけっこうストレスである。読書百遍意自ずから通ず。百回も読んでられないが、日本語だからなんとなく理解はできる。悪文というものは確かにあって、その際たる物は役所の文書だ。その次に来るのが新聞の記事である。まけまけで英語の勉強に付き合っている。道新の英文記事の翻訳を読むが一読しただけでは理解できない。英語のほうがよっぽど文章の構造がわかりやすい。とにかく日本語の翻訳記事は、主語と述語がかけ離れすぎていて、最後まで読まないと結論がわからない。あとどうしても漢文調の美文が推奨されているみたいで、もっと大和言葉を大事にしたいものだ。そういう自分ももう少し簡単な言葉で表現できたらなと思う。好きな作家は変わるもので、若い頃は三島由紀夫の格調高い文章に惚れこんだ。日本語を母国語とする日本人に生まれてよかったとさえ思ったものだ。今はどうかと言えば、村上春樹一辺倒で、多少修飾が鼻につくが風俗的で、軽いタッチが音楽的な乗りでリズミカルに読めてしまう。自分も普段書く創作では平易で親しみやすい表現に努めているが、これはかなり意識して書かないとできるものではない。文体も固定されるし、心理描写もできない。哲学もなければ思想もない。あったことを時系列で書くのなら日記を書いていればいい。小説を読むことでテクニックをまねすることはできるが、猿真似の文章をいくら書いても意味がない。生みの苦しみではないが、読書断食をして自分の内にふつふつと文学魂が出現するのを無為に待つしかないのだろうか。書かなくてもいられる人には戻れない。書けないと思っているのは自分だけで案外いいものが書けているかもしれない。

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