2023年12月15日
昨日は、まけまけ一人きりで独占状態だった。午前中の学習のテーマは病気を知るということで、統合失調症の話になった。当事者の実感では、傍から見れば普通っぽく見えてもどこか表情が険しい人が多いような気がする。当事者が訴えることの一つが、「生活のしづらさ」である。これは漠然としていて伝えにくい症状である。一人で生きているわけではないので、だれか彼かのサポートを受けなければならない。これは何も病人だから言えることではなく、人間であれば全員に当てはまることだ。毎日、何事もなく送れているだけありがたい。社会がうまく機能している恩恵を受けている表れだろう。家族がいて友人に囲まれているのに襲ってくる不安の正体は何なのか。ひょっとしたら一人きりになってしまったほうが楽なのかもしれないと思う時がある。何かに没頭することを「我を忘れる」という。自分の存在すら認識しない境地があるのだから、大宇宙に一人残されたとしても人間は何とかなりそうだ。それでもふと一人になると頭がもたげる「孤独」が何か病気の原因の一つのような気がするのは、想像力が豊かでない証拠だ。宇宙の始まりが一つの点みたいなものからスタートしたとすると、この世の存在は孤独をはじめから内に秘めていたことになる。もっと積極的に一人になることで忘れられていた宇宙意識に包まれることになるだろう。孤独にとらわれる病ともいえるのが精神の病気の一面である。頭蓋骨を割って脳みそを取り出し、顕微鏡で事細かに見たところで心なんてものは理解はできない。脳も臓器の一つなので、有効な治療薬があることは確かだが、盲目的に薬を飲んでいても幸せにはつながらない。考え方を改めたほうが病気と共存するには手っ取り早い。病に振り回されるのではなく、そんなもの忘れていたというぐらいでないと、いつまでたっても病の触手からは逃れられない。ここまで悟るのに回り道をしたが、時間が解決するとはこのことをいう。