午後3時にまけまけは終わる。放課後に居残る人もいるが、自分はすぐに帰りの支度をする。嗚呼19時間後にまたここへ来るんだなと思いながらまけまけを後にする。春休みの子供たちの昼ごはんの心配もしなくてはならない。なるべく電子レンジで温められる食事を考える。娘は火の心配は要らないが、息子の方はやかんでお湯を沸かしたこともない。インスタントメンで済ませれば楽チンだが、味気ないだろうと思い手作りにこだわる。学校はなくても、手作り弁当にかなう物はない。いつもどおり前の晩におかずを用意して、朝娘が詰め込む。一度自分も食べてみたいものだ。娘も親の苦労がわかったようで、今夜は洗濯と食器拭きを頼むこともなくやってくれた。これを子供だから手伝うのが当たり前だと思わないで感謝して接しなければならない。ゆっくりコーヒーを飲む時間もない。時間があっても淹れる気が起こらない。その分まけまけでたっぷり飲んでいる。仕事と家庭を両立している人はスーパーマンに見える。家のことを優先したら仕事にかける時間は減る。逆に仕事にかまけていたら家事は手薄になるだろう。子供たちが、手がかからなくなるまで今の生活は続く。もしまけまけがなかったら、どういうことになっていただろう。寝たきりで家のことすらできていなかっただろう。まけまけは負担であるが、ちょうどいい負荷がかかっている。動いているほうが、調子がいいと言えるからだ。休日明けは身体がカチンコチンでストレッチがきつく感じる。それでも筋トレの成果が出ているようで、筋肉痛からも解放されたし、地下鉄駅の階段も楽にあがることができる。かっこいいところを見せたいという思いも見え隠れするが、年齢的に無理は禁物である。スタッフの指示に従ってメニューをこなすだけだ。頭ばかり使っていないで身体を使うことは、悩みそのものを吹き飛ばしてくれる。身体を使うにはエネルギーも必要だ。まけまけの学食で力をつけたい。毎朝、またまけまけに来てしまったと思うのは幸せなことだ。
イガチョフ