何がきっかけになるかわからないが、人間必ず立ち直れるものだ。まけまけのKさんは、週二回の通所でいずれも社会科の座学で講師を担当している。毎回、北海道新聞に目を通し、議論の余地があるネタを探す。滅多に新聞もテレビニュースも見ない自分にとって、この講座は楽しみでKさんにいろいろと解説をお願いしている。今日は十分な準備をする時間がなかったが、Kさんはぶつけ本番で黒板に向った。いつも真剣に原稿を読み上げているので、緊張もすることだろう。額から汗が出るようで、途中で目頭を押さえる場面があった。いつもセコマで買う麦茶をひと飲みして講義をやり終えた。振り返りの後、Kさんの意外な一言にみんなは思わず感動してしまった。「自分は長い間病院に入院して経過が思わしくなく、なかなか人と接するのもうまくはなかった。けれども根気強くデイケアやまけまけでの活動を通して本来の自分を取り戻すことができた。今では人前で堂々と講義もできるし意見も主張できるようになった。自分でも信じられない快復だ。今日、講義中に感極まったのはこんな感慨を覚えたからだ」と静かに語ってくれた。思わずみんな拍手してしまった。自分の内面を外に向けて表現できただけでもなかなか真似できないことだ。一歩一歩地に足をつけて生きていく意味を教えられた。もう日のあたるところで活躍はできないかもしれない自分たちが、今こうやって息を吹き返せる場を与えられたのだ。言葉がなければ人と人は繋がらない。もちろん非言語のメッセージもあるが、やはり言葉の力は絶大だ。「精神病は言葉の病気である」と自分は考える。病気になると社会性が低下するのは避けられない。伝えたいことの半分も伝えられない。もちろん非言語でも通じ合えるが、それでは動物と同じだ。脳が極端に発達した人間にとって言葉による思考こそ人間らしさの表れで、ここがダメージを受けると容貌から振る舞いまでぎこちなくなってしまう。まけまけでKさんと一緒に成長していく自分たちの今後が楽しみだ。
イガチョフ