高校2年生の息子の担任が自分と同年齢なのだが、息子が言うには「パパのほうが若々しいよ。先生はやることなすこと爺さんだ」そういわれてみれば自分は白髪もほとんどない。親友のT君など白髪でその数も風前の灯。とても同い年には見えない。いまだ独身のうえ仕事人間で趣味もない。色めいた話は自分から遠ざけるくそ真面目だ。息子の担任とは話したことはないが、きっとこの友人と同じ人種に違いない。まけまけで筋トレしているせいか極端に太ることもなく安定している。老化現象が緩やかになったようだ。そんな自分だが若い頃は実年齢よりだいぶ老けて見られた。二十歳の頃に40代半ばぐらいに間違われた。若く見られるとなめられるからある程度の貫禄はあったほうがいいが、若い肉体が心の若さを保つのだから、なるべく意識して姿勢を正している。それでも若者文化にはついていけない。若い子にわからないことを聞くと、「まるで父と話しているみたいです」とやはり年齢の隔たりを縮めることができない。そこを逆手にとってかわいげのあるオジサンになって親交を深める手に切り替えるしかない。年長者としての強みは若者より多少物事の本質が見えている点に過ぎない。これを鼻にかけると「何言ってんのこのオッサン」とそっぽを向かれるだろう。若者と同じ目線で話すことで親交を深めることは大切だ。自分の子供とて接し方が上から目線では反発されるのが落ちだ。同じ屋根の下に住む者どうし助け合いながらの毎日だ。二人とも将来の稼ぎ頭で、何かと面倒をかけるのは目に見えている。もちろん自立した老人として余生を過ごすつもりだが、寂しい老後には変わりない。親離れ子離れできない不幸は深刻だ。人間一人では生きてはいけないが、所詮一人だという意識は持っておいたほうがいい。自分の父親は孤独のまま死んでいったが、最後まで家族を求めていた。依存心が強くそれが家族に負担になった。人生の終わりを自分で決められないのは不幸だ。「自立」とは孤独を含むことで厳しい言葉だと思う。
イガチョフ